大正デモクラシー

- 大正デモクラシーについて詳しく
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大正デモクラシーとは
大正デモクラシーは、大正時代(1912年~1926年)を中心に日本で展開された民主主義的な政治・社会運動の総称です。この時期、日本の近代化が進む中で、自由主義や民主主義の理念が広まり、議会政治や普通選挙を求める声が高まりました。日本の近代政治史における重要な転換期であり、政治や社会、文化のさまざまな領域で革新的な動きが見られました。
大正デモクラシーの背景
1. 明治維新後の近代化
明治維新以降、日本は西洋の制度や思想を取り入れ、急速な近代化を遂げました。憲法や議会制度が導入される一方で、天皇を中心とする政治体制が維持され、権力は軍部や官僚に集中していました。
2. 日露戦争後の社会変化
日露戦争(1904年~1905年)の勝利により、日本は列強の一員と見なされるようになりましたが、戦争による経済的負担や不平等条約の改正の遅れに対する国民の不満が高まりました。
3. 大正時代の政治的自由
大正天皇が即位すると、政治的自由や民主主義の理念が広がり、議会の役割が強調されるようになりました。立憲政友会や憲政会などの政党が活発に活動し、政党政治が進展しました。
特徴と重要な動き
1. 政党政治の発展
• 政党が内閣を構成する政党内閣が登場しました。特に、1918年に成立した原敬(はらたかし)内閣は、初の本格的な政党内閣として注目されました。
• 原敬は「平民宰相」と呼ばれ、地主や資本家などの特権層ではない一般市民の利益を考える政治を目指しました。
2. 普通選挙運動
• それまでの選挙制度では、一定以上の納税額を持つ男性しか投票権を持ちませんでしたが、普通選挙を求める運動が活発化しました。
• 1925年に普通選挙法が成立し、満25歳以上のすべての男性に選挙権が与えられました。
3. 社会運動の広がり
• 労働者や農民、女性の権利を求める運動が活発化しました。
• 女性解放運動では、平塚らいてう※1や市川房枝などが活躍し、女性参政権を求める声が高まりました。
※1 〝らいてう〟の現代読みは〝らいちょう〟• 労働運動も盛んになり、労働組合の結成やストライキが行われました。
4. 文化的革新
• 自由主義的な思想や西洋文化が浸透し、文学や芸術、哲学の分野でも新しい表現や思想が広がりました。
• 大衆文化が発展し、新聞や雑誌が普及して一般市民にも知識が広がりました。
主な出来事
1. 大正政変(1913年)
藩閥内閣に対する反発から、第一次護憲運動が起こり、内閣が総辞職する事態となりました。
2. 米騒動(1918年)
米価高騰に苦しむ民衆が全国各地で暴動を起こし、政治への不満が顕在化しました。これを受けて原敬内閣が成立しました。
3. 普通選挙法の成立(1925年)
民主化の一環として、納税額に基づく制限選挙から普通選挙への移行が実現しました。
4. 治安維持法の制定(1925年)
一方で、共産主義などの過激思想を取り締まるため、治安維持法が制定され、政治的自由に制約が加えられました。
大正デモクラシーの意義
1. 民主主義の拡大
大正デモクラシーの時代に培われた議会政治や普通選挙運動は、日本の民主主義の基盤を形成しました。
2. 国民意識の変化
国民一人ひとりが政治に関心を持ち、自分たちの権利を主張する動きが広がりました。
3. 大正デモクラシーの限界
一方で、普通選挙法成立後も女性や納税額の少ない人々には参政権が認められず、完全な民主主義には至りませんでした。また、治安維持法の制定により、思想の自由が制約される面もありました。
終焉と影響
昭和初期に入ると、経済不況や軍部の台頭により大正デモクラシーの動きは後退していきました。しかし、この時代に根付いた民主主義の理念や運動は、戦後の日本の民主化に大きな影響を与えました。特に、戦後の日本国憲法制定や普通選挙の普及は、この時代の成果に基づいています。
まとめ
大正デモクラシーは、日本が近代国家として歩みを進める中で、民主主義が大きく発展した重要な時期でした。この時代の社会運動や政治改革は、その後の日本の政治や社会に大きな影響を与えています。民主主義が一時的に後退する局面もありましたが、大正デモクラシーは、日本の歴史における進歩的な時代として記憶されています。
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大正デモクラシークイズ
- クイズ解説
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1問目
大正デモクラシーの特徴として正しいものは?
正解:民主主義的な政治と社会運動の発展
解説:大正デモクラシーは議会政治や社会運動が発展した時代です。「藩閥政治の強化」や「鎖国政策の再興」は逆行する動きです。2問目
大正デモクラシーの中心的な政治運動は?
正解:普通選挙運動
解説:普通選挙運動は、納税額に基づく制限選挙を廃止し、広く国民が参政権を持つことを求めました。「天皇制の強化」は大正デモクラシーの趣旨とは異なります。3問目
普通選挙法が成立した年は?
正解:1925年
解説:1925年に普通選挙法が成立し、満25歳以上の男性に選挙権が与えられました。それ以前は納税額に制限がありました。4問目
日本で初めて政党内閣が成立したのは誰の内閣?
正解:原敬
解説:原敬は1918年に日本初の本格的な政党内閣を率いました。「伊藤博文」や「桂太郎」は藩閥政治の代表者です。5問目
大正デモクラシーの背景となった出来事は?
正解:日露戦争の勝利
解説:日露戦争の勝利により国民の政治意識が高まり、議会政治や民主主義への関心が広がりました。6問目
1925年に制定された治安維持法の目的は?
正解:共産主義思想の取り締まり
解説:治安維持法は社会主義や共産主義などの過激な思想を取り締まるために制定されました。「普通選挙の推進」ではありません。7問目
第一次護憲運動が起きた年は?
正解:1913年
解説:1913年に議会政治を求める第一次護憲運動が起こり、藩閥政治に反対する国民の声が高まりました。8問目
第一次護憲運動が目指したものは?
正解:議会政治の実現
解説:護憲運動は議会政治を重視し、藩閥や官僚政治の打破を目指しました。「軍部の統制」は別の時代の課題です。9問目
米騒動が発生した主な理由は?
正解:米価の高騰
解説:1918年の米騒動は米価の急騰による生活苦から発生しました。「米の過剰供給」は正反対の理由です。10問目
米騒動の結果として成立した内閣は?
正解:原敬内閣
解説:米騒動を受けて原敬内閣が成立し、平民の利益を考慮した政策が期待されました。11問目
普通選挙法で投票権が与えられたのはどのような人々ですか?
正解:満25歳以上の男性
解説:1925年の普通選挙法により、納税要件が廃止されましたが、女性には選挙権が与えられませんでした。12問目
大正デモクラシーが影響を受けた主な思想は?
正解:自由主義
解説:大正デモクラシーは個人の自由や民主主義を重視する自由主義の影響を受けました。「共産主義」は当時取り締まりの対象でした。13問目
大正デモクラシーが終焉を迎えた主な理由は?
正解:軍部の台頭と昭和の混乱
解説:昭和初期に軍部の力が強まり、議会政治が後退しました。「経済的繁栄」は当時の現実とは逆です。14問目
大正デモクラシーを象徴する女性解放運動家は?
正解:平塚らいてう
解説:平塚らいてうは青鞜社を設立し、女性の権利を主張する運動を展開しました。
なお、”らいてう”の現代の読み方は”らいちょう”です。15問目
平塚らいてうが設立した団体は?
正解:青鞜社
解説:青鞜社は、女性の解放と知識の普及を目指した文学団体です。「日本婦人会」は別の団体です。16問目
原敬が「平民宰相」と呼ばれた理由は?
正解:華族や武士ではなかった
解説:原敬は平民出身であり、当時の特権階級から外れていました。17問目
大正デモクラシー期に普及したメディアは?
正解:新聞や雑誌
解説:新聞や雑誌が一般市民に広まり、情報伝達や啓発の重要な手段となりました。18問目
大正デモクラシーの期間中に最も活発化した労働運動は?
正解:労働争議やストライキ
解説:労働条件の改善を求めて労働者がストライキや争議を頻繁に行いました。19問目
普通選挙法の制定と同時に制定された法律は?
正解:治安維持法
解説:普通選挙法と同じ1925年に治安維持法が制定され、共産主義などの取り締まりが強化されました。20問目
原敬内閣の最大の業績は何ですか?
正解:普通選挙の実現への道を開いた
解説:原敬は平民の立場から政党政治を推進し、普通選挙の基盤を作りました。